「優秀さについて」について
昨日書いた通り、今日も諸事情により基本的にブログ書く時間が無いので、たまたま見かけたホットエントリをネタに一言だけ。→あとで読み直して、なんかイマイチ言いたいことをかけてないなと思ったので書き直しました。
この記事を書いた方は、記事を読む限りソフトウェアエンジニアとして非常に優秀な方なんだと思う。
以下の箇所が結論だと思うけど、これもさっと読むと頷けるところではある。
スタートアップに転向し、CTOなどやらせてもらってセールスやマーケティングや経理やらの人と仕事する機会が出来た事で、世界に無数の頂きがあるのだと思えるようになった。色々な世界にいるその道のプロ。自分が今まで知らなかった頭の良さの基準を見つけて、周りの人の新しい素晴らしさを見つけられる、そういう風にありたいと思っている。
なんだけど、よく考えると少しだけ違和感を感じたのは、「神々の頂上合戦」的世界観。言葉尻を捉えた揚げ足取り的になってしまうことは自覚しつつも、「頂き」というと、なんだかTop of the worldというイメージで、少なくとも自分の場合、自分の専門分野であっても(専門分野だからこそ?)、自分が頂きにいるとは到底思えないし、せいぜい「頂きをめざして中腹にいる」程度の認識だ。世界には自分が登ろうとしている山とは違う山が無数にあるのだ、という気づきであればあまり違和感を感じなかったかもしれないけども、「世界に無数の頂きがあるのだ」だと、「なんか頂上にいる人が、他の山の頂上の人々と雲の上で会話しているのかな」というイメージを受けてしまった。Again、揚げ足取り的で、筆者の意図はそういうところには無いと思うけど。
また、少し話はズレるけど、自分や周りを「優秀か」「優秀でないか」で切り分けていく習慣があると、延々と続く他人と自分との比較無限地獄に陥ってしまうように思う(優秀かどうかに限らず、他の尺度でも同様)。
世の中色んな苦しさがあるけども、「つい色々なことで自分と他人と比べて一喜一憂してしまう」、というのは、厄介な苦しさの一つではなかろうか。
それなりの年数生きてきているけど、そこからの解脱の仕方は未だよくわからない。
ランニングなんかは、(オリンピックや駅伝の選手でもなければ)基本的には過去の自分との競争なので、比較的、「他人との比較」からの脱却をしやすい趣味だと思うけど、これも万能ではないしな…。
時間もないので、とりとめもないですがこのへんで。